コーチ(親も含め)の役割?
すべきことのホンの一部


この話は僕の尊敬するI・Kコーチと雑談してた時に話題になったお話しです。

子供にテニスを教え、上達してくると大会に参加し腕試しをするようになります。
結果は、当然一人は勝者、もう一人は敗者。結果は引き分けのないある意味シビアなものです。
ジュニアの大会会場に居るとよく目にするのが、自分の子供に(過剰に?)期待を懸けている親御さん。実は期待じゃなく、自分の夢だったり見栄だったりいろいろと理由はあるでしょうが、声を上げている方ほどプレッシャーとストレスを子供達に掛けているようです。
親の「期待」というプレッシャーに負けて、故意のミスジャッジ(もちろんセルフジャッジの試合で、です)をする子供達を何人も見てきました。
う〜ん。これは多分誰も望んでいない(途中)結果だよなぁ。って思います。
大人は(親御さんもコーチも大会関係者も)誰もジュニア選手を卑怯者に育てたいわけではないし、当の本人も故意に悪いことをしている感覚もないだろうし。困ったものです****

あと、その会場での親御さん同士や引率コーチの会話で、
「いやぁ、うちの**が今日勝ったのはタマタマですよ」とか「運が良かったんです」みたいな日本古来の(謙譲の美徳?)っていう社交辞令のような試合の検討?を
ジュニアの前で繰り広げる大人たち。
タマタマ勝つわけないやん、テニスは。
確かに運が味方に付いたポイントもあったろう。調子が滅茶苦茶悪くても、相手選手がもっと酷くて勝ったかも知れんけど・・・。
(コンディションを整えて試合に臨めないのは、努力と実力が足りないから、と考えます。)
「たまたま・運が良かった」等、これは子供の前では言っちゃいけない。日本の伝統表現かも知れんけど。僕はダメだと思います。
自分の一番身近な理解者である親やコーチが選手の聞こえるところで謙遜してはジュニアは自分がダメなことを(努力が足りない)していると感じるかもしれないし、本気で「普通にやったら負けるんだけど、今日はタマタマ運が良かった」と自分を過小評価したり・・・。
みんな頑張っているでしょ、子供達は。
今の子達は、誉められて育っているので、ネガティブな評価は僕らが思っている以上に心にダメージを負います。
じゃあ、かと言って、誉めれば誉めたでオダテラレタブタのように木に登った「つ・も・り」になって、いとも簡単に天狗になるので過剰な賛辞も頂けませんが。

何が言いたいかといえば、子供はみんな勝ちたいと思っているし、大人も子供を勝たせたいと思っている。
ならば、いつも努力している子供の姿を見ている大人は、その努力に対して決して過小評価(謙遜)することなく、過剰評価することもなくスゴク頑張っている子に対しては
「この子は普段からすごく頑張っているよ、勝って当たり前の努力はしている。」
「勝つために、毎日ランニングとトレーニングしてる成果がでたんです。」とか、真っ直ぐに周りにに聞こえるように、本人にも聞こえるように伝えるべきだと思います。
だって繰り返しますが、みんな頑張っているでしょ、子供達は。
一番身近な大人の親御さんやコーチがちゃーんと評価すれば、今まで以上に努力すると思うんです。
そして、子供達には「堂々と」「驕らず」「自信を持って」成長してほしいと願うのです、僕達は。

その子の技術や健康な身体や健全な心を正しく育てたいと大人は思っているなら(この根本的なところに賛同いただけないならこの項は無意味か?)大人の子供に対する期待はあるのが当たり前だけど、それを彼らに悟られないように静かに見守って、励まし、サポートしないといけないと思います。
過剰な期待を感じると子供達は、その期待に応えようと「試合」に勝とうとします。
自分の為でなく、大人の期待に応えたくて「勝とう」とします。
大人の顔色を伺うジュニア選手に成っちゃいます。

「すべきことの一部」ぢゃなくて、本当は「何もしない一部のススメ」だな、これは。
謙遜しない、過剰評価しない、期待しない(悟られない)の「ない、ない」のススメ、な話でした。